ニュース・トピックス

FOCUS ON CINEMA⑯【私は彼ではない〈トルコ/ギリシャ/フランス〉ディレクター懇談】

監督 タイフン・ピルセリムオウル

 

受け身ではない、観客自らが一歩入り込む映画

 

エンジニアを育成するトルコ中東工科大学卒業後、ウィーンで美術を学び、その後、小説や脚本を書きながら映画の道へと足を踏み入れたタイフン監督。恵まれたリベラルな環境で育った監督が作りたい映画は、ハリウッドのような派手な映画ではなく、観客自らが映画の中に入って考えるという作品。

「構造的な面でも、内面の葛藤を描かないという主人公像も、とても面白かったです。観れば観るほど新しい発見があって、まるで日本の小説家、安部公房の世界を彷彿させました」と梁木ディレクターが言えば、「嬉しいです。安部公房は知っていますよ」と表情を和らげます。「偶然が重なって思いもかけない方向にすすんでいくラビリンスのような世界を描きたかったんです。それと私は主人公の内面を感傷的に描くよりも外側で起きたことを描きたいと思いました」。

上映後のQ&Aでは“退屈な映画だった”という声もありましたが、観客の方に歩み寄って取引するような映画は作りたくないと監督は言います。それについては梁木ディレクターも「僕も受け身でいられる映画ではなく、謎が多い方が好き。また突然何かが起こる、伏線を張らないのもいいですよね」と意気投合。「私は、観客の側がフレームの世界に一歩踏み込んできて欲しいと思っています。人生はループのように繰り返し繋がっているもので、ある所まで来ると劇的に変わりますが、それは次のループに入ったということ。私が思う映画は、監督と観客がダンスをしながら近づき、出会うこと。綱渡りのロープダンスのように危険だけど(笑)」

実は、今回の来福が初来日というタイフン監督。「福岡には、来るべくして来たという気持ちがしています。皆さんフレンドリーで、食べ物も美味しい」とご機嫌の様子。明日は屋台に行ってみようと福岡の毎日を満喫されている監督でした。

Posted on

FOCUS ON CINEMA⑧【予兆の森で〈イラン〉Q&A】

監督:シャーラム・モクリ

 

全編134分ワンカット撮影という驚きの手法を使った「予兆の森で」。実話を基に一つの視点から様々な人物の時間の流れを描いた物語は、今回の映画祭では最も刺激的な作品と呼び声高く、会場ではイラン新進気鋭の監督・シャーラム・モクリ氏に質問が相次ぎました。

 

Q:映画の中で時間がループしていくというアイデアはどのように浮かんだんですか?

A:タランティーノ監督の「パルプ・フィクション」のように時間がループする手法が流行した時期に私もこのような作品を作りたいと思い、エッシャーのだまし絵を鑑賞するなど研究しました。しかし、絵なら自分の中だけで時間や空間を崩すことができますが、映画になると時間の流れが必要になってきます。そこで考えたのが大きな時間の流れという円の中に、登場人物各々が抱える時間という小さな円を何個かつくるという手法です。

 

Q:映画製作において大変だったことは?本当に2時間半ノーカットなのですか?

A:役者を納得させることが一番大変でしたね。役者を集め、1カ月ロケ現場で毎日舞台のように稽古を行い、慣れた頃にクランクインしました。80本程撮った後、1人の役者がセリフを忘れた時は1日半休みをとった後、1から仕切り直しました。カットは一切していません。またカメラマンは2人いて、30分ごとにカメラパスを行い撮影しました。

 

Q:ノーカットにした理由は?

A:時間の流れ、というものを観客に強く感じてほしかったからです。通常、実話だと「何故、そんなことが起きたか?」を説明する手法が多いですが、私は形だけを説明することにしました。その演出により、実際にイランの西側で起きた事件をリアルに伝えるのではなく、映画としてシュールに表現することに成功したと思っています。

 

原題の「Fish&Cat」について、「この映画では若い世代を狙う古い世代、というイラン独特の世代観についても描いています。またイラン自体が諸国から常に狙われている状態で、いつも何か起きるんじゃないかという不安を抱えて人々は生きている。その事実も表現したかった」と熱を帯びた口調で語ってくれ、会場から拍手が沸き起こりました。

 

Posted on

梁木ディレクターのここが見どころ!⑮ 【予兆の森で〈イラン〉】

 
134分を1カットで撮影した傑作!
始終漂う不安感は病み付きに

今年もっとも衝撃的な作品です。芸術的にもとても洗練された作品。134分をワンカットで撮影しているというのも、以前にヒッチコックやソクーロフなどの試みはあるものの、何といっても驚異的。森に囲まれた湖畔、凧揚げイベントに参加するために集まった学生たち。近くのレストランの料理人たちは料理のための“肉”を探しに森をさまよう。まがまがしい予兆をはらみながら、カメラは永遠に移動し続けます。

ホラーのテイストで始まるのに、ホラーの現場が出てこない。不吉な予感だけでどこまでも引っ張っていく。デヴィッド・リンチみたいです。観客は何か恐ろしいことが起こるという「不安」をはらみながら、さまよい続ける。そして、同じ場面に何回も戻ってくる。ハンガリーのタル・ベーラ監督作品みたいです。別の場面に移っても必ずまた同じところに戻る。出口がない。原題の「猫が魚を狙っている」という状態が続く。ぼくらの心の中みたいです。観客は、じっと観つづけるしかない。今一番現代的な作品だと思います。


【上映作品紹介はこちら
 

Posted on

梁木ディレクターのここが見どころ!⑫ 【絵の中の池〈イラン〉】

 
小さな家族の大きな愛にあふれた物語

こんなに最小限の物語で、こんなに感動するのかと、われながら驚いてしまいます。軽度の知的障がいをかかえる両親に大切に育てられた息子ソへイル。貧しいながらも笑顔の絶えない温かな家庭で幸せな毎日を送っています。しかし小学校の高学年になり、自分の家庭が他とは違うことを恥ずかしいと感じるようになります。ほかの家の子になれたらどんなにいいだろうかと。

夫婦の演技がとてもいじらしく、チャーミングで、それだけでもう十分と言えるくらい。純真な気持ちが観客にストレートに伝わってきます。できればご家族で観ていただきたい。イラン映画は、結末よりも、与えられた困難をどうクリアしていくか、主人公がプロセスをどう闘うかを描くのがうまい。そういう意味でとてもイラン的な作品です。さりげないところの色使いがステキです。ぜひお見逃しないように。


【上映作品紹介はこちら
 

Posted on

梁木ディレクターのここが見どころ!⑩ 【私は彼ではない〈トルコ/ギリシャ/フランス〉】

 
人間の内に秘めた欲望を独特のリズムで描く

安倍公房に「他人の顔」という小説あります。手術で他人の顔になりすますという話でしたが、こちらは究極の他人の空似です。設定は違いますが、アイデンティティーを問題にしているという点で、テイストはかなり近いです。中年の独り者が、同僚の女性の家に夕食を食べに行く。居間の写真を見ると、自分がいる。それは自分にそっくりな彼女の亭主で、現在、服役中。彼女と同居するうちに、男は亭主の物を使ったりするようになる。それもつかの間、唐突に彼女は事故死。男は、そのまま亭主に成り代わる。すると亭主が脱獄し、亭主の代わりに自分も追っかけられることに……。
他人になっていくことが快感になり、追われていることが恍惚に変わる。自分のアイデンティティーが揺らいでいく人間のおそれとおののき。カフカ的な展開が魅力的な作品です。観終わったあと、自分はだれなのか? という疑問に向き合うことになります。


【上映作品紹介はこちら
 

Posted on

梁木ディレクターのここが見どころ!⑨ 【兄弟〈フランス/グルジア〉】

 
グルジア内戦を少年の視点から鮮明に描く

40年以上も前、旧ソ連時代のグルジア映画にはいい作品がありました。「ピロスマニ」とか「落葉」など、静謐な芸術作品でした。これは久しぶりのすばらしいグルジア映画です。1990年代初頭、ソ連が崩壊するちょうどその頃のこと。首都トビリシは内戦の混乱期にありました。ふたりの兄弟の物語です。兄は、将来に向けて高い教育を受けられたはずなのに、内戦に巻き込まれ、不毛な日々を過ごすうちに悪の道に迷い込んでしまう。才能豊かな弟は、ピアニストを目指していたのですが、ますます激しくなる内戦のために、困難に直面する。グルジアの光である、芸術という希望が消えそうになる……。
この時期に青春時代を送った監督が、自身の体験や実話をもとに、祖国が変わってゆくさまを失われた世代の視点から鮮明に描いた哀歌です。弟役を演じるのは、本当にピアニストを目指すかわいらしい少年です。


【上映作品紹介はこちら
 

Posted on

梁木ディレクターのここが見どころ!③ 【ひとり〈カザフスタン〉】

 
少年の孤独とプライドが胸に迫る

とんでもない境遇です。母親が死に、父親は家を出ていって、山の村で一人暮らしをしている小学生の話なのですから。父親はたまにしか帰ってこない。少年に周りの大人は親切にするどころか、子供だからと意地悪をするし、学校の先生も同級生もやさしくしてくれる人はだれもいない。健気に頑張ってはいるけれど、心は折れそうになる。ある日、都会の学校に行っている兄ちゃんが帰ってきます……これで、意地悪をされないですむ!

ところが、あてにしていた兄ちゃんも、自分のことしか考えないやつだった。ひとりぼっちで佇む少年の無言の孤独がひしひしとスクリーンから伝わって、胸がいっぱいになります。いっておきますが、これは児童映画ではありません。そんな甘いものではありません。ひとは孤立するしかないのだと思い知らされます。だから、生きていこうと思うのです。



【上映作品紹介はこちら
 

Posted on

【FOCUS ON CINEMA】パルヴィズ(イラン)監督インタビュー

監督:マジド・バルゼガル
美術監督:レイラ・ナグディパリ
主演俳優:レヴォン・ハフトワン

 

どの国でも起きえる問題を詩的に描いた監督の注目作

 

映画祭オープニングから堂々たる存在感を見せていた「パルヴィズ」チーム。梁木ディレクターとの懇談は「福岡観客賞」発表の翌日でした。「個人的に僕にとっての観客賞は『パルヴィズ』ですよ!」との梁木Dの言葉に「そう言って下さる方が多いんですよ。やり直しましょうよ(笑)」とマジド監督。中年ニートの孤独を描いた今作ですが、「無視されることによって人はどうなるのか。そしてそんな人間が権力を持った時、どう変わるのかを描きたかった」というこの作品のテーマは、イランだけではなく全世界で起きえる問題。

イランでは親と一緒に住んでいる中年男性は多く、親が金持ちだとパルヴィズのようなニートになり、親が貧乏だと共に住まざるを得ないという両極の現状を持っていると監督。今作では軍隊上がりの厳しい父親と50歳のニートの息子を描きましたが、実際に取材したリアイア後の将軍も最近2人の息子のうち、50歳の息子を追い出したばかり、と語っていたそうで、マジド監督の妻である美術監督・レイラさんと撮影監督と共に2年間かけてよりリアリティーに近い物語に仕上げていったそうです。

主人公のパルヴィスを演じたのは、カナダ・トロントで活躍中のイラン人舞台俳優、レヴォンさん。ちょうど母国で別の映画の撮影を行っていた時に、人の紹介を通じてマジド監督に会ったそう。レヴォンさん自身の体格、見た目を買われて当時、別の映画の撮影に入っていたのですが、マジド監督が「クレイジーな人ではなく、普通の中年の男を撮りたい。見た目は関係ない」と言ったことが出演の決まり手だったそう。マジド監督は、最初レヴォンさんに会った時、存在感が強すぎるかなと懸念したそうですが、毎日団地のあちこちで見かける太った男が、急にそこからいなくなることの対比の面白さを考え、起用を決めたと言います。劇中では、パルヴィズの息遣いが印象的。「日本語では息と生きるって言葉が似ているんですよね。だから息が苦しいってことは、生きる苦しさが現れていると感じました」との梁木Dの言葉に一同深く納得。レヴォンさんの母国語であるアルメニア語でも「呼吸と生きる」という言葉が似ているそう。

また、パルヴィズがつけている母親のようなエプロンや、古びれたアパートの窓の目隠しに使われている古い新聞、実家やクリーニング店の冷たい色の壁…など細かくなにげない設定は美術監督のレイラさんとマジド監督、撮影監督が徹底して作り込んだセット。「まるで点滴のように、観る方にじわじわと入り込んで、感じてくれればと思ったんです。大げさな効果音や音楽、カメラワークで次の展開等の予告はしたくなかった。ドラマティックさを一切消したかった」とマジド監督。小津安二郎監督など、日本の古い映画に大きな影響を受けている監督は「日本人の美があいまいさの中にあることを知っていますし、イランは日本の倫理感や美学にとっても似ています。私の映画では、“すべてはハッキリ言わないこと”を主に表現を試み、それを私の詩としています。俳句のようにそぎおとし、ミニマルな表現を基本としているので、日本人にはよりウケるかもしれませんね」とイランに昔からある俳句や短歌のような「ロバイ」という表現を教えてくれ、日本文化、イラン文化について話が盛り上がりました。

映画のタイトル「パルヴィズ」は、イラン史に残るある英雄の名で、イランでは親が子に歴史上の英雄の名前を希望と共に付けることが多いそう。撮影後半まで違うタイトルで映画製作は進んでいたそうですが、途中からこれは悲劇的な結末を迎える映画になるだろうと意識して、シンプルに「パルヴィズ」というタイトルに変えたといいます。

実に細やかでミニマルな表現の上に成り立っている、圧倒的な存在感を誇る作品。「イランからまた面白い監督が出てきたね!」と梁木Dも大興奮のひと時でした。

Posted on

【FOCUS ON CINEMA】ゲーマー(ウクライナ)監督インタビュー

監督:オレグ・センツォフ

 

2年越しのオファーが叶った今回の来福に感激の対談

 

 

Tシャツに半ズボンという寛いだ姿で現れた監督。昨夜も福岡の街を楽しまれたようで少々お疲れのご様子でしたが、梁木ディレクターが「昨年は断られましたので今年再びチャレンジしました。この映画は2年越しで招待したいと思えるほど好きな作品ですよ」と伝えると、監督も胸に手をあて「ありがとう」とフレンドリーな笑顔をうかべます。

 

「この作品は、一言で言うとメランコリック。もっとお話を作ろうと思えばできる題材なのに、少年の内面をじっと見せていく、そういう描き方が素敵です」と梁木ディレクターが賛辞を送ると、「そういう感想はとても嬉しい。どの国でも静かなドラマだと言われます」と監督。映画を作った時は、まさかこのように世に知られるとは思ってもみなかったそうです。

 

というのも監督自身は、国立経済大学の出身で「映画の専門機関で学んだことは一度もなく、30歳の頃に趣味の延長からスタートし、いろんな映画を観たり本を読んだりして独学でここまできた」という一風変わった経歴の持ち主。プロフィールに記載されていた“モスクワで脚本・映画監督学を学ぶ”というのは、プロデューサーが勝手に書いたという監督の言葉に、梁木ディレクターも少し驚いた様子でした。

 

今回の製作費も、これまで営業やネットカフェ経営などのビジネスでコツコツ貯めた自己資金だそう。映画の舞台となったネットカフェは、監督自身が経営していたこともあるため、とてもリアルに描くことができたわけです。

 

さらに監督のバックグラウンドをひも解いていくと、2008年に撮った短編映画は、アメリカの作家サリンジャーの著作と同じ題名。「文学はロシアやアメリカだけでなく、世界中どこでも好き。日本のムラカミ(村上春樹)も好きです」と監督が言えば、「僕は、村上春樹と同じ年で同じ頃に同じ大学にいたんですよ」と梁木ディレクター。監督も目を見開き、「グレイト!」と興奮していました。

 

好きな映画監督について質問が及ぶと、精神性の高い叙情的な映像美で知られるロシアの巨匠、アンドレイ・タルコフスキー監督の名前が挙がりました。「ずっと観ていますが30歳頃からようやく彼の映画が少しずつわかるようになってきました。一番好きな作品はミラー(鏡)かな」。「彼は最高の映画人。そういえばこの「ゲーマー」という映画もタルコフスキーと同じような匂いがありますね。そういうわけか、繋がってきたぞ」と納得顔の梁木ディレクター。

 

次回作は、動物のサイを描いた長編映画を予定しているそう。梁木ディレクターがプレミアはぜひ福岡でと熱望すると、「プロデューサーが決めることなので即答はできませんが、チャンスがあればぜひ福岡の映画祭で上映したい。明日には帰りますが、福岡の映画祭は居心地もよく、進行もスムーズでとても気に入りました。ウクライナに帰ったら映画関係の仲間にも福岡の映画祭のことを広めようと思います」と監督。すっかり意気投合したおふたり。何度も堅い握手を交わしていました。

Posted on

【FOCUS ON CINEMA】沈黙の夜(トルコ)監督インタビュー

脚本/監督:レイス・チェリッキ

 

チェリッキ監督の大胆な手法に賛辞を送る梁木ディレクター

 

アジアフォーカスではすっかり常連になったレイス・チェリッキ監督。梁木ディレクターとも和んだ雰囲気で握手を交わし、インタビューが始まりました。

 

監督の最新作は、結婚初夜のつとめを通じてトルコに古くから浸透した男性優位社会の伝統や宗教、習慣の在り方を問うもの。映画のほとんどの場面が花婿と花嫁の寝室で撮られ、台詞も二人の対話に限られる手法に、梁木ディレクターからその大胆なアイディアはどこからきたのかを伺うと、「私は表現したい内容を焦点を絞って考え、社会全体を針でつついた小さな穴から見ています。主人公の花婿と花嫁が社会を象徴しているんです」と、穏やかな口調で語りました。

監督によると、この1つの部屋は、「花婿の部屋」「反政府的なもの」「尋問の部屋」の3つの部屋に考えられ、社会の隠された部分を暴く真実の扉になっているといいます。

また、美しい映像美で目に留まる「赤」と「白」の色使いについて、赤はこれまで伝統や宗教、習慣といった男性優位社会の犠牲になってきたもの、白は純白を表現しているのだそう。

キャスティングについて梁木ディレクターが「花婿役の彼はいい役者さんですね」と話すと、話題は撮影エピソードへ。花婿役のイルヤス・サルマンは、もともとはコメディアンだったそうですが仕事がいやになり酒浸りの生活を送っているところを、今回24年ぶりに監督が口説き落として俳優業に復活してもらったのだとか。撮影中も隠れてお酒を飲もうとして時に険悪なムードになりながらも、フィナーレに向かって緊張感のある現場をつくっていったといいます。

反対に、14歳の花嫁役については監督が絵を描いてまで探していたそうですが、なかなか理想の子に出会えず、105人目に見つかったのだとか。

衝撃のラストシーンについて、梁木ディレクターから「最小限のものを用いて、最大限の効果を上げている」と賛辞が送られると、監督は「継続する男性優位社会を、現代化した今の社会でオープンにさせたかったので、ドアを叩く音で締めくくりたかったんです。映画を観て、現実を振り返ってもらうことが私の映画でいつも変わらず表現したいもの」と力強く述べました。

インタビュー後には昨年と同様、監督から梁木ディレクターへ親愛の気持ちを込めて、素敵なランプがお土産として手渡されました。

 

Posted on