ニュース・トピックス

FOCUS ON CINEMA⑲【ふしぎな岬の物語〈日本〉特別試写会】

原作者:森沢明夫
プロデューサー:富永理生子


 

人のつながりの温かさを描いた至福の物語


第38回モントリオール世界映画祭での、審査員特別賞グランプリとキリスト教関連団体が贈るエキュメニカル審査員賞のダブル受賞ニュースに日本中が沸いたのも記憶に新しいところ。人のつながりの大切さを味わい深く描いた「ふしぎな岬の物語」。10月11日の公開に先駆けて開催された特別試写会では舞台挨拶が行われ、多くのファンが詰めかけました。

今回は主演の吉永小百合さんが企画から携わり、監督の成島出さんと共に“温かなつながり”について何か表現したいと探して出合ったのが、映画の原作となる森沢明夫さんの小説「虹の岬の喫茶店」でした。森沢さんは「原作が映画化されると決まった時、心の中で花火がドーンと上がりました。映画祭で受賞のニュースを聞いた時は、やった!というより、吉永さんおめでとう!という気持ちでした」と語り、実際ロケ現場で吉永さんに会った時は、あまりにも気さくなので驚いたそう。プロデューサーの冨永理生子さんは「吉永さんは映画界の大先輩。プロデューサーとしても女優としても完璧で、とにかく素晴らしいのは人間としての気のつかい方。助手などスタッフ全員の名前を覚えていて、遠くの人にも手を振って応える…この方のためなら何でもできる!という思いでついていきました」と吉永さんの魅力を披露。

ロケは極寒の2月、阿部寛さん、笑福亭鶴瓶さん、竹内結子さんなど脇を固めるキャストもチームワーク抜群で吉永さんを中心に厳しい現場を和やかに乗り切っていたのが印象的だったと語る2人。森沢さんは小説に幸せの本質への思いを込めたといいます。「幸せは成るものではなく、気づくもの。そして人を幸せにしている人が幸せなんです。映画ではその幸せのキャッチボールを楽しむことができると思います」。日本映画ならではの温もりを感じる心地良い映画に仕上がっているという今作品。「たとえて言うなら田舎のひなびた温泉に2時間浸かっているような感覚で、映画をご覧になっていただきたいです。心の奥からほっこり温まり、至福のひとときを過ごしてください」との冨永さんのメッセージに会場全体が温かい拍手で包まれました。

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FOCUS ON CINEMA⑱【トークイベント 〜写楽をめぐって〜】

ゲスト:篠田正浩監督
聞き手:梁木靖弘ディレクター


 

江戸の町と商人文化を鮮やかにあぶり出した「写楽」


シネラのスクリーンに映し出される豪奢な江戸歌舞伎「河原者」と呼ばれる歌舞伎役者や花魁による芸能を享受する江戸商人の姿は、江戸の闇夜を照らす打ち上げ花火のように粋で鮮烈でした。

人気浮世絵師を世に売り出し、江戸の流行を拓く版元「蔦屋」の主人、蔦屋十三郎と謎多き「写楽」という絵師を通して、日本映画界としては唯一ともいえる江戸の暮らしや芸能を活写した本作。梁木靖弘ディレクターが「江戸の歌舞伎を唯一再現できている映画ですよね。製作のきっかけは?」と尋ねると、「もともと、黒澤明を描きたいと思ってたんですけどね」と篠田正浩監督。当時、写楽研究に没頭していたフランキー堺さんと話すうちに、唯一、写楽という存在を知っていた蔦屋重三郎を主人公に据えて描こうと話がまとまったといいます。

「江戸時代の商人は、士農工商の中では一番下の階級とされていましたが、自力で商売をして稼ぎ、実力で勝負してきました。人間として自立した商人や『河原者』と呼ばれる絵師や役者は、他から差別されることで逆に自由を獲得していくわけなんですが、どんな人間だろうと生まれてきて、生きて、死ぬ。そこには階級なんて関係ないんです」と持論を述べる篠田監督。「浮世絵は、私にとって映画史の前史。江戸のある時期、歌麿や北斎、滝沢馬琴など当時は無名だった彼らが同じ時代を生き、同じ場所に居合わせたという偶然を思うたび、私も自分の助監督時代を思い出すんです。当時の助監督には、大島渚や鈴木清順、吉田喜重などそうそうたる人がいましたから」。

「それとね、浮世絵は、絵師、彫り師、刷り師という各々の技を極めた職人が団結して生まれた複合的なユニット、つまりトヨタ車ができあがる過程と同じなんですよ」。この言葉には梁木ディレクターも「そういう意味では、武満徹を始めとするクリエーターをいち早く見出した篠田監督も、蔦屋重三郎のような存在ですよね」とあらためて尊敬の眼差しで見つめます。

「キラ星のごとく現れた絵師の浮世絵を面白いと感じた江戸の町人たち。それこそがこの映画のテーマですよね。単なるストーリーじゃない、江戸文化すべてを映し出しているのが『写楽』」と梁木ディレクター。「次の機会は、小津安二郎の本性をあばきたいね」。時にユーモアを交え、軽妙に映画について語る篠田監督のトークに、参加者の多くはメモをとりながら熱心に聞き入っていました。

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協賛企画☆福岡フィルムコミッション支援作品『sala』プレミア上映!

オープニングセレモニーにも登場してくださった杉野希妃さんが
プロデューサーであり主演をつとめる『sala(サラ)』のプレミア上映会を開催します!

今回は2013年に福岡市と糸島市がロケ地となった作品を全国に先駆けご紹介します。

会期中1度のみの上映となりますので、この機会にぜひご覧ください!

 

sala

上映日時:9月17日(水)10:00〜
会  場:ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13 13番スクリーン

※映画祭チケットでご覧いただけます。


あらすじ:
咲良は自身が性的少数者であることに気付いていない。大抵の女性が魅力を覚える男らしさは、彼女に嫌悪感を抱かせるものでしかなかった。教師として勤務する女子校で、女生徒の思いを受け入れ肉体に触れてみたこともあるが、官能を与えてはくれなかった。ある日、彼女のもとに警察から連絡が入る。幼い頃に離別した実父・充が暴行事件に巻き込まれて重傷を負ったのである。唯一の身寄りである咲良は、充の保険証を取りに彼の自宅に向かい、そこで一人の少年に出会う。少年愛者の充が誘拐し監禁した少年だった。

監  督:和島香太郎
出  演:杉野希妃/太賀/佐野史郎/山本剛史
作品情報:2014年/72分/日本

 

★フィルムコミッションとは・・・
映画やテレビ番組等の撮影を円滑に行うための支援組織。撮影誘致・支援活動の窓口として、地域の経済・観光振興に大きな効果を上げています。

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FOCUS ON CINEMA⑥【福福荘の福ちゃん〈日本〉Q&A】

監督:藤田容介




沖縄国際映画祭に続き、イタリアなど海外の映画祭で上映され、そしてモントリオールで行われた第18回ファンタジア国際映画祭で「最優秀主演女優賞」に輝いた本作品。上映中、会場は爆笑に次ぐ爆笑の渦。インパクトのあったシーンを振り返りながら、藤田監督への質問が次々に飛び出しました。

 

Q:まさにハマり役でしたが、主人公の男役を森三中の大島美幸さんに決めた理由を教えてください。

監督:実はシナリオを書く前に、主人公は大島美幸さんじゃなきゃダメだという想いがあって、大島さんを想定してプロットを書いたんです。もし出演を断られたら、この作品は撮らないつもりでいました。

大島さんはテレビで男装姿も見ていたし、過去にいじめにあった経験もあるんですね。この映画の主人公のように“ブサイクだけどいい顔”をしていたり、“豪快だけど実は内面に闇を抱えている”といった両方の面を持ち合わせている特殊なキャラクターだし、この人しかいない、と。

 

Q:男性役を女性が演じているという点で、海外での反応はいかがでしたか?

監督:海外では上映前に主役が実は女性だということを伝えていましたが、みんな驚いていました。たまたまドイツで伝え忘れたことがあって、その時は男性だと信じて疑わなかったようです。

 

Q:主役の男性でなく、ヒロインがカメラマンという男女逆転のような発想の設定が面白かったです。リアリティを感じる作品でした。

監督:そう言っていただけると嬉しいですね。撮る・撮られるという関係性の中で生まれる主人公の高揚感を伝えたかったんです。役者さんたちにも、コメディーだけど抑えた演技を望みました。希望額の半分という低予算でなんとかやりくりして作った作品ですが、譲れないシーンはがんばって撮りました! 肩の力を抜いて楽しんでいただけたら嬉しいです。

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梁木ディレクターのここが見どころ!⑯ 【日本映画特集「しゃらくせえ絵師たち」】

 

     ©写楽製作委員会

しゃらくさい時代がありました。むろん、しゃらくさい人々がいました。浮世絵を磁場に見えてくればいいなと思っていたのは、ひと言でいえば、しゃらくささです。時間が止まったような江戸の世に、ちっぽけな版画の画面に、歌舞伎の舞台に、力づくで浮世(憂世)を閉じ込めようとするしゃらくささ。江戸のしゃらくささを、さらに映画に無理やり押し込めようとするのも、しゃらくさいし、この7本に出てくる人間たちも、しゃらくさい。60年代から70年代にかけては、ほかにも大島渚の「新宿泥棒日記」、松本俊夫の「修羅」、寺山修司の「田園に死す」など、ぼくの大好きなしゃらくさい映画がありました。本特集の最後に位置する篠田正浩の「写楽」は、しゃらくさくなくなってしまった時代と映画へのレクイエムではなかったのか、と思ってしまう今日この頃です。しゃらくささよ、いまいずこ?

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梁木ディレクターのここが見どころ!⑪ 【福福荘の福ちゃん〈日本〉】

 
福ちゃんの不思議な力
懐かしさ漂う人情コメディー

人気お笑いトリオ「森三中」の大島美幸が丸坊主のおっさん役に挑戦した初主演作品。カナダでみごと主演女優賞に輝きました。おめでとうございます。福福荘というおんぼろアパートに住む中年塗装工の福ちゃんこと福田辰男が、過去の体験からの“女性トラウマ”を克服してゆく姿を、脱力系のおかしさにくるんで描いています。
福ちゃんの生き方は、普通に物ごとを考え普通に生きていて、とてもシンプル。「昔はあんなおっちゃんいたよね」という、昔の日本人のいい部分をもっている。福ちゃんと触れ合うことで、周囲の人たちが普通になっていくという不思議な力を持っている。福ちゃんのまわりは奇人変人だらけで、日本人はどこか神経を病んでしまっているなあと思いつつ、ゆるいカーブ玉を投げてくるような福ちゃんの生き方がとても心地よいです。
人との触れ合いがちょっと苦手な若い人が観てくれるといいなと思います。


【上映作品紹介はこちら
 

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『アオギリにたくして』福岡市上映会のお知らせ

本映画祭上映作品「台北カフェストーリ」等も配給している福岡所在の配給会社であるユナイテッドピープル株式会社が強力にプッシュする映画「アオギリにたくして」が上映されます。是非ご覧下さい。

詳細はココをクリックして下さい。(外部ページにリンクします)
******以下は外部ページからの引用です***********************************************************************************
映画「アオギリにたくして」の特別試写会を、2013年10月3日(木)福岡市にて開催したところ、この映画は多くの人と共有し語り継ぐべき作品だと有志がその場で集まり「200人上映実行委員会」が立ち上がりました。一同、学生さんに、小学生に、お母さんに、お父さんに、社会人の方にぜひとも広島の被爆者体験についてのこの映画をご覧いただきたいという思いで2014年2月9日、福岡市のアミカスホールでの上映会を企画しました。

映画「アオギリにたくして」は、アオギリの語り部と呼ばれ、広島平和公園の被爆アオギリの木の下でたくさんの子供たちに被爆体験を語り感銘を与えてきた、被爆者の故・沼田鈴子さんをモデルに被爆者の数奇な人生を描いた作品です。

イベント当日は、企画 & 製作 & 統括プロデューサー 中 村 里 美さんと、プロデューサー・音楽監督伊 藤 茂 利さんのお二人がご来場し、製作に至るまでの想いや、沼田さんについてなどお話くださいます。どうぞ、お誘い合わせの上、映画『アオギリにたくして』の上映会にご参加ください。お子さん連れの皆様のご参加も大歓迎(小学生以下無料、要人数申請、要保護者同伴)です。

日時:2014年2月9日(日)13:40 – 16:40 ( 13:20開場)
場所:アミカスホール(福岡市南区高宮3丁目3-1)
http://amikas.city.fukuoka.lg.jp/modules/tinyda1/
募集人数:300名様
料金:一般1,800円、ペア3,000円、学生1,500円、小学生以下無料
    当日2,000円
主催:ユナイテッドピープル
※クレジットカード決済が難しい方はご連絡ください。確実に来られる方は
 座席確保致します。

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福岡ワンミニット・コンペティション2013

若きクリエーターたちのさらなる進歩を鼓舞する3時間

 

9月22日、福岡フィルムコミッションが主催する「福岡ワンミニット・コンペティション2013」の公開最終審査会が行われました。

これは応募があった日本の若手クリエーターによる短い映像作品を、映画祭の本編上映前に流し、その中から最終審査に残った作品を公開で審査するというもの。審査員には福岡出身の映画監督・石井岳龍氏やアクション女優の大島由加里(シンシア・ラスター)さん、ゲスト審査員にタイのバンジョン・ピサンタナクーン監督を迎えてのコンペティションだけに、会場は多くの映画ファンでいっぱいに。

審査委員長の梁木ディレクターによる進行のもと、プログラムがスタート。始めに、ゲストをスピーカーに「地域を生かした映画づくり」をテーマに審査員によるトークセッションが行われました。

バンジョン・ピサンタナクーン監督は、大学卒業後、CM製作会社に入り助監督を経て、デジタルで短編映画を作った後、デビュー作となった長編ホラー映画「心霊写真」でタイの年間興行収入第一位を記録。海外からも高い評価を受けています。現在もCMを作りながら映画を撮っている監督。「実はハリウッドからの誘いもあるんですが、自分が撮りたい脚本と作品でないと1本で終わってしまいますから、そこを大事にしたいと思っています。
次は全編中国語の中国映画(ホラーコメディー)を予定しているんですよ。私にとってはどこで作品を撮ろうが、自分が語りたいもの、自分らしさが伝わればいいと思っています。いろんな人に聞かれますが、タイらしさはオリジナリティーのある作品を撮れば、自然と映画の中に出てくるものだと思います」

大島由加里さんは、女優の立場から想いを述べられました。
「私はアジアで女優業をしていますから、やはりアジアと福岡を繋ぐことができたらいいなと思っています。福岡の良さがわかる福岡発の面白い監督がいて、それをコミッションがサポートして、アジア諸国とうまくやっていくことができたら嬉しいですね」

福岡を代表する映画監督・石井岳龍氏は、
「私は年を重ねて経験を積んできましたし、山笠をはじめとする博多の風景はルーツであり消えないものだと思っています。そこにしかないものがあると思う反面、そこにいると見えないことがある場合もあります。例えば旅をすると、別の国の風景と博多の下町の路地が重なって映ることがある。それって、私の記憶や創作の原点ですから変えようがないんですよね。離れて遠くから見てみるということが発見に繋がるかもしれません」と考えを述べ、映画界で減少傾向にある純粋なオリジナル映画を作ることの意義や重要性を伝えられました。

「ご当地映画ではない、ローカルティを失わない映画づくりには、“ルーツと創造力の翼”の両方が大事ですね」と梁木ディレクターのまとめがあった後は、「バリバリショートssフィルム海外作品上映」と「アジアフォーカス・福岡国際映画祭先付タイトル上映」タイム。これまでアジアフォーカスに招待してきたアジアの監督たちが推薦する若手クリエーターの作品を5作品紹介した後、オープニングに上映された歴代のタイトルを上映。玄界灘と飾り山笠が登場する石井監督によるフィルム撮りの初代作品も流されました。


休憩を挿んだ後は、いよいよコンペティションの時間。始めに、「福岡インディペンデント映画祭2013」でアニメ賞を受賞した作品「サイクロイド」(黒木智輝作/3分25秒)が特別上映され、続いて本題となるコンペティション作品にノミネートされた13作品が紹介されました。

街や観光地、人、夜、思い出etc…「福岡」をテーマに、さまざまな視点とアイディアで自由に撮られた1分前後の作品群。「私は今回、辛口批評担当です」と話す石井監督が会場を沸かせる場面もありつつ、残念ながら最優秀賞に該当する作品はなく、優秀賞に3作品、大島由加里さんから特別賞が1作品、選ばれました。

優秀賞には、博多うどんをテーマに凝った映像を披露した「発祥の地 福岡!」(玉井雅利/90秒)、赤ちゃんのいる家族の何気ない日常の風景を題材とした「福岡3人暮し」(黒川荘輔/73秒)、博多の伝統をユーモラスに伝えた「博多手一本に、やり直しはない」(古野翼/90秒)が受賞。会場から歓声と拍手がわき起こりました。

バンジョン・ピサンタナクーン監督は「『発祥の地 福岡!』が面白かったです。私はストレートなものでなく、意外性のある新しい視点で自分らしさが伝わる映像が好みです。うどんという題材とマーシャルアーツを駆使した映像を見て、福岡をもっと知りたくなりました」

石井監督は13作品を全部を批評。受賞作については「『発祥の地 福岡!』は青ビニールでブルーバックをよく撮ったと思います。音に迫力がもっとほしかったのと、面白かったけれど、博多うどんならきつねじゃなくてゴボウ天か丸天!(笑)。『福岡3人暮し』はヒューマンな視点がよかったと思います。ラストショットが弱くてもったいなかった。もうひと捻りほしかったです。『博多手一本に、やり直しはない』は、アイディアが面白いですね。ラストショットのピンがあまかったので、もっと丁寧に撮ってください」

また特別賞には、博多の夜のネオン街を撮影した「fukuoka night」(高橋美沙子/90秒)が選ばれ、「夜といえば大島ですから(笑)」と、大島由加里さんから楯が授与されました。

総評として「全体的に、何を伝えたいのかが弱くてわからないものも多かったですね。もっとていねいに、愛情を持って表現してほしいと感じました。とくにラストシーンはキメなので、ここで勝負する気持ちで…自覚が足りない作品が多かったです」と意見を述べる石井監督の言葉に、梁木ディレクターも納得。「流通している福岡でない福岡をもっと見てみたかったですね」と、さらなる進歩を願い、若きクリエーターたちを鼓舞するかたちで3時間にわたるコンペティションは締めくくられました。

 

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【FOCUS ON CINEMA】篠田正浩監督インタビュー

 

いつ観ても新しい篠田作品、彼の頭の中にあるのはトルストイの台詞

 

インタビューが始まるなり、持参した紙袋から篠田監督の映画のDVDや著作を取り出した梁木ディレクター。「監督の映画、とても好きで改めて見直してみたんですけど、今観ても充分に新しいですよね」と興奮気味で話しはじめると、篠田監督もニカッと笑みをうかべ、当時の貴重な思い出と映画に対する持論を躍動感あふれる語り口で話してくださいました。

1964年には、「乾いた花」「暗殺」と2本の映画を同時発表された篠田監督。「『乾いた花』の試写会を開いた1963年12月12日は、奇しくも映画の父、小津安二郎監督が亡くなった日なんです。試写が始まるなり、いろんな人が途中で出ていくものだからおかしいなと思ってどうしたんだと知り合いの記者に尋ねたら、たった今、小津が死んだって。だから、僕にとっては、『乾いた花』=小津の死。小津という映画の父、ゴッドファーザーが亡くなって、その子ども達は家出して、てんでばらばらになっちゃった」と運命的とも思える映画とのエピソードを語ります。

「ゴッドファーザーの例えは面白いですね。その子ども達というのが、吉田喜重さんや大島渚さん、そして篠田監督というわけですが、当時の映画界はどういう状況だったのですか」と梁木ディレクターが身を乗り出すと、「富める者と貧する者に分かれていたんじゃないかな」と監督。「吉田は映画における知性の可能性を追い求めるがために、完璧をめざした結果、中途半端で終わってしまったし、大島渚は当時の政治について映画を通して意義申し立てをしようとしていた、プロパガンダとして。でも、幸か不幸か大島渚は政治に明るくなかったのと、映画のセンスがものすごくあったから上手くいかなかったけど」。

そして、篠田監督はというと、もともと陸上部出身、箱根駅伝で2区を走り抜いたほどのスポーツマン。助監督時代は、走り回ったり重いものを運んだりと体力仕事ばかりさせられていたことから、「篠田、お前にあんな映画が作れるとは想像つかなかったぞ」と当時の映画仲間から驚かれたといいます。

次に梁木ディレクターが監督の映画の根底に流れているものについて、「監督の映画やご本には、敗者の複雑さが通底しているような気がしますが」と発言。「そうだね、僕は敗者のドラマをたくさん作ってきた。一度ある正月にワイフ(女優の岩下志麻さん)と京都旅行をした時、偶然に『暗殺』の作者、司馬遼太郎さんご夫妻とお会いしたのですが、その時に『いつか言おうと思ってたんだけど、君の映画、暗いよ』って言われました。でも僕の中ではトルストイ『アンナカレーニナ』の冒頭に出てくる、『幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭はさまざまだ』という台詞がいつも頭にある。敗者の爽快感というか、悲劇によって自己崩壊する喜びというのかな。自著『河原者ノススメ』などでも扱われている路上の物語は実に爽快ですよ」。

それを聞いた梁木ディレクターが「芸能をきちんと描いているから、監督の映画は古くないのでしょうね。特に、背景となる襖や床の間などのしつらえなんか、とても美しい。今の映画セットのような作り物ではなく、すべて本物なんですね」と賛辞を送ります。「確かに僕は、どの映画の誰にも感情移入していません。それよりフレーム全体を観ているから。背景が美しいというのは、手前味噌ですが、僕ほど日本文化を知っている人はいないと思うから、それはしっかりとしたものが作れるわけです」。「そうですよね、映画もですけど日本の神話性や歴史などについて書かれた著作は、ちょっとやそっとじゃ書けないものです。監督の場合、人間よりも美の方が上位にある感覚なのですね」。

「原爆が落ち、テレビ放映が始まった20世紀は、映像文化が核融合反応した時代でもあった」と独自の言い回しで20世紀を表現する篠田監督。「コミュニズムを標榜して政治でも民衆を救うとか救われるという言い方は、僕なんかはインチキだしそういうことを言う政治は迷惑だなあと思うんです」という言葉に、梁木ディレクターも「だから監督の映画は、単なるヒューマニズムとは無縁のところで人間を観ているように感じるのですね」と深々とうなずき、耳を傾けていました。

そんな監督の映画の原体験とは、何だったのでしょう?「映画や芝居好きの母親と、丹下左膳の映画を観に行ったんだけど、片目片足の姿に衝撃を受けた。それが映画の目覚めですね。それと小3の時に観た『ベルリンオリンピック』。岐阜の田舎で育った子どもにとって、ヒットラーが聖火リレーをやっているのを映画館で観た時は、これが西洋か!とまた衝撃だった。それと親父が16ミリをまわして田舎の景色を撮っていたドキュメンタリーフィルムと、その3つの少年体験が今の自分を作ってくれました」。

現在82歳というお年をまったく感じさせない、溌溂とした若さを見せる監督。オープニング上映会に出席された後も、現在取材中の卑弥子について調べるために島根県の出雲に出かけられたそうです。映画の話以外に、篠田監督が「日本粗」と呼んでいる、日本という島国の在り方についても激論が交わされた今回のインタビュー。膨大な勉強と経験による知識の蓄積に、梁木ディレクターも圧倒されっぱなしの1時間半でした。

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特集1Q64 〜過去はいつも新しい〜 篠田正浩監督スペシャルトーク

1964年に同時公開された「暗殺」「乾いた花」で国際的に高い評価を受けた篠田正浩監督。そのカリスマ的な人気は今も健在で、会場には急きょ追加の椅子が運ばれ、開始前から熱気十分。濃紺のシャツにスーツを着こなしたダンディな監督が会場に姿を現すと、観客から大きな拍手が起こりました。

 

梁木:およそ半世紀前、1964年に作られた「暗殺」「乾いた花」ですが、今から考えられないくらい面白くて、とてつもない傑作ですね。

篠田:ありがとうございます。1964年公開ということは、つまり1963年の仕事というわけですけど、当時はあまり評価されませんでした。僕が33歳の時に撮った映画。もうあんなのは撮れないですね。

梁木:64〜74年の10年間、一番日本が高揚した時期。64年は東京オリンピック開催、東海道新幹線開通などがあった年ですが、その時代とは映画の現場にとって一体何だったのか。それを1Q64の「Q」に込めました。当時のエピソードをいくつかお聞かせください。

篠田:「乾いた花」は、博打映画でストーリーも何も分からないじゃないかと、公開前に松竹内部から非難を受けたんです。でも原作の石原慎太郎が「こんな傑作を作ってくれてありがとう」と言ってくれて、寺山修司らが「篠田をはげます会」を開こうと企画してくれた。でもそうすると松竹が篠田をいじめているみたいだというので「篠田を叱る会」と名前を変えて試写会をしたんですね(笑)。ただ映画の途中なのに一人二人と席を立つ。やっぱりダメだったのかなと落ち込んでいた時に知り合いの記者も席を立ったので「最後まで観ていけよ」と言ったら「たった今、小津安二郎が死んだ」って。60歳でした。奇しくもその日は、小津の命日、1963年12月12日だったんです。だから僕の中では、「乾いた花」=小津の死。映画の父が亡くなってヤンキーの篠田が生まれた日(笑)。解剖室の前にいたら、小津の骨を切断する音が聞こえてきてね。そこで、小津から篠田へバトンタッチされたと思ってます。

梁木:映画の父が死んで、その子ども達(吉田喜重、大島渚監督など)はてんでバラバラに散らばったと(笑)。

篠田:ええ(笑)。で、「乾いた花」が公開されたら、日生劇場の扉が閉まりきれないほど観客が入ったものだから、松竹が次はお前の好きなものを何でも撮っていいよと。それならチャンバラを撮りたいとやったのが「暗殺」なのです。

 

梁木:篠田監督は、勝者ではなく“敗者の世界”を描くというのが作品の根底に流れています。篠田:ニューヨーク映画祭で「乾いた花」がオープニング上映された時、僕はこの映画はソビエトとアメリカの冷戦下に置かれ、選択の余地のない日本のジレンマを篠田正浩の日常のメランコリーに重ね合わせて描いたんだと話したら、拍手喝采を受けましてね。どんな物語も映画の裏にはその当時の時代や政治がくいこんでいるものです。日本が戦争に負けた喜びとしては、言論表現の自由を得られたというのが大きい、もちろん哀しみも量り知れないわけですけど。

梁木:監督の映画には、芸能がどこかに必ず顔を出しますね。

篠田:「乾いた花」の博打は、良識ある家庭では嫌われます。絶対に儲からない仕組みになっているのに、なぜ人は博打をするのか。人間というのは、たいていの場合、勝者ではなく敗者であるからです。オリンピックのスポーツなんかもそうでしょう。勝者は一人で生きていかれない、何百人もの人間の集積の上に一人の勝者がいる。だから僕はハッピーエンドで終わるハリウッド映画を観たら、そこからが本当の映画が始まるのになと思うわけです(笑)。不幸せを生きる方がドラマティックでしょう。トルストイ「アンナカレーニナ」冒頭で、「幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭はさまざまだ」という台詞があるように、不幸せを覚悟すれば人生こんなに楽しいことはない(笑)。

梁木:監督の映画でもうひとつ思うのは、人間そのものより背景やバックグラウンドの方が見応えがあるということです。たとえば本物の絵があったり。

篠田:作品の中には、美術や音含めていろんなエキサイティングな仕掛けをしています。

梁木:モダニズムと芸術のドッキングといいますか、武満徹さんを映画音楽に起用されるなど実験的ですよね。

篠田:武満さんの音楽は、アナログでとった音をシンセサイザーの巨大な電子音につくりかえたものなんです。当時NHKの実験場で内密に頼んでやってもらったんですけど(笑)。そういう細部を感じていただけるのは嬉しい。今日お集まりの方々は、中高年の方が多いですけど、僕は確実に今、自分の映画のお客様と出会っている喜びを実感していますよ。(会場から大きな拍手)。

梁木:60年代は戦後の最も過激な時代。それが映画芸術に溶け込んだ希有な時代だと思います。

篠田:64年以降、テレビの台頭により、映画人口が減りました。でも映画には、人間と人間にとってすごい出会いを与える興奮と喜びがつまっている。

梁木:最後に、今の日本映画界についてどう思われるかお聞かせください。

篠田:「はだしのゲン」を子どもに読ませちゃいけないというようなことも言われますが、子どもの感受性というのは大人が思うより鋭くて、いくらダメと言っても毒を飲んでしまうものなんです。私も小学三年生の時に「ベルリンオリンピック」の映画を観なければ映画監督にもならなかったし、陸上にも興味を抱かなかったでしょう。つまり悪や敗者があるから、エッジというか知恵が生まれるわけで、そこが学問のはじまり。今、日本はアジアの中でどんどん孤立しています。その孤立を防ぐひとつのシステムが「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」ではないかと思いますよ(会場から大きな拍手)。

梁木:いやあ、そこに話がいくとは(笑)。もっとずっとこうしてお話を聞いていたいくらいなのですが、時間になりました。今日は本当にありがとうございました。

 

本映画祭に招待されたアジアの監督らも多数駆けつけたスペシャルトーク。ほかにも箱根駅伝の話、富士山に象徴される日本の神話性など興味深いお話が玉手箱のように飛び出し、集まった人達は目を輝かせて聞き入っていました。82歳の今も現役で精力的な取材・執筆活動を続ける篠田監督のユーモアを交えた含蓄あるお話の数々に魅了された珠玉のひとときでした。

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