アジアントリビア

優しく切ない言葉…「君のためなら千回でも」

アフガニスタン・カブール出身のカーレド・ホッセイニの小説を原作とした2007年のアメリカ映画ですが、舞台は70年代80年代のアフガニスタン。アフガニスタンといえば、タリバンしか浮かばないという非常にとぼしい知識の中で観た映画でした。1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻と日本人の私たちにはわかりにくい複雑な人種問題がベースにあります。

まだ美しく活気にみちたアフガニスタンで成功した父のもと、何不自由なく暮らすアミール少年とそこで父親と共に召使いとして働いていたハザラ人のハッサン。それでも同世代のアミールとハッサンはいつも一緒の兄弟であり、親友でもありました。

アフガニスタンの子ども達に人気の凧上げは、二人一組で協力しあって、相手の凧に自分の凧を絡ませて糸を切れば勝ちとなります。ハッサンのサポートはとても優秀で彼のおかげで恒例の凧合戦にも優勝できるんですね。アミールもそれはわかっているのですけど、ハッサンはそんな事でしゃしゃり出ることはありません。今回もいつものようにアミールのために、負かして飛んで行った相手の凧を拾いに(拾った人のものですから)、他の子達と競って走っていくんです。原題の「The Kite Runner」はここからきているのですね。

「ハッサン、取ってきて!信じているよ」「もちろん。君のためなら千回でも

邦題はここからきましたが、無邪気に答えるハッサンの笑顔が胸につまります。凧合戦で、今まで力を合わせて戦っていたのに、君のために…と優しく響くこの言葉の裏にあるものが切なくて…。

いつまでも続くと思っていたアミールとハッサンの関係は、アミールのほんのささいなことから崩れていきます。そしてそれは修復される事なく1979年に。共産主義を毛嫌いしていたアミールの父親は息子を連れてアメリカへ。そして二度とハッサンと会うことはありませんでした。

再びふるさとに戻ったのは、タリバンにとらわれたハッサンの息子をとりもどすためでした。ずっと胸につかえていたハッサンとの関係を取り戻す為にもアフガニスタンへ。

あれほど美しかったカブールの街はもうそこにはなく、荒れ果てて色のない無機質な場所でした。武器がそこかしこにあり、ピリピリと神経が研ぎすまされるような状況の中、自分を守ってくれるハッサンの後ろにいたアミールが、今は一人でハッサンの息子を捜しにタリバンのもとへ。

リベラルだった父親は、アメリカに渡ってから、同じ人種のコミューンの中で従順に生きていました。卑屈な感じさえするんですね。息子を育てるための選択。時代に翻弄されて必死で生きている親の姿にも胸が痛みます。

これはイスラムの習慣だと思うのですが、息子に結婚したい人が出来た時、まず父親が女性の家に行って許可をもらうんですね。息子は同席しません。しかも結婚前の男女がデート(らしきこと)をするとき、母親が数メートル後ろについていました。同席するわけではないので、他の人に対してのexcuseなんだと思います。これは今から十数年前の設定だから、今はもうこういう習慣はないのかもしれませんけど…。

「君のためたら千回でも」そう言って走っていくハッサンの姿に、人種とか政治とか同じ子どもなのに主順関係のある状況に、とてもやるせない気持ちでしたが、彼の言葉にはアミールが好きでアミールの為に何かしてあげたいという純粋な子どもらしい思いだけだったのだろうと思います…って思いたいのかな…。

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