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特集1Q64 〜過去はいつも新しい〜 篠田正浩監督スペシャルトーク

1964年に同時公開された「暗殺」「乾いた花」で国際的に高い評価を受けた篠田正浩監督。そのカリスマ的な人気は今も健在で、会場には急きょ追加の椅子が運ばれ、開始前から熱気十分。濃紺のシャツにスーツを着こなしたダンディな監督が会場に姿を現すと、観客から大きな拍手が起こりました。

 

梁木:およそ半世紀前、1964年に作られた「暗殺」「乾いた花」ですが、今から考えられないくらい面白くて、とてつもない傑作ですね。

篠田:ありがとうございます。1964年公開ということは、つまり1963年の仕事というわけですけど、当時はあまり評価されませんでした。僕が33歳の時に撮った映画。もうあんなのは撮れないですね。

梁木:64〜74年の10年間、一番日本が高揚した時期。64年は東京オリンピック開催、東海道新幹線開通などがあった年ですが、その時代とは映画の現場にとって一体何だったのか。それを1Q64の「Q」に込めました。当時のエピソードをいくつかお聞かせください。

篠田:「乾いた花」は、博打映画でストーリーも何も分からないじゃないかと、公開前に松竹内部から非難を受けたんです。でも原作の石原慎太郎が「こんな傑作を作ってくれてありがとう」と言ってくれて、寺山修司らが「篠田をはげます会」を開こうと企画してくれた。でもそうすると松竹が篠田をいじめているみたいだというので「篠田を叱る会」と名前を変えて試写会をしたんですね(笑)。ただ映画の途中なのに一人二人と席を立つ。やっぱりダメだったのかなと落ち込んでいた時に知り合いの記者も席を立ったので「最後まで観ていけよ」と言ったら「たった今、小津安二郎が死んだ」って。60歳でした。奇しくもその日は、小津の命日、1963年12月12日だったんです。だから僕の中では、「乾いた花」=小津の死。映画の父が亡くなってヤンキーの篠田が生まれた日(笑)。解剖室の前にいたら、小津の骨を切断する音が聞こえてきてね。そこで、小津から篠田へバトンタッチされたと思ってます。

梁木:映画の父が死んで、その子ども達(吉田喜重、大島渚監督など)はてんでバラバラに散らばったと(笑)。

篠田:ええ(笑)。で、「乾いた花」が公開されたら、日生劇場の扉が閉まりきれないほど観客が入ったものだから、松竹が次はお前の好きなものを何でも撮っていいよと。それならチャンバラを撮りたいとやったのが「暗殺」なのです。

 

梁木:篠田監督は、勝者ではなく“敗者の世界”を描くというのが作品の根底に流れています。篠田:ニューヨーク映画祭で「乾いた花」がオープニング上映された時、僕はこの映画はソビエトとアメリカの冷戦下に置かれ、選択の余地のない日本のジレンマを篠田正浩の日常のメランコリーに重ね合わせて描いたんだと話したら、拍手喝采を受けましてね。どんな物語も映画の裏にはその当時の時代や政治がくいこんでいるものです。日本が戦争に負けた喜びとしては、言論表現の自由を得られたというのが大きい、もちろん哀しみも量り知れないわけですけど。

梁木:監督の映画には、芸能がどこかに必ず顔を出しますね。

篠田:「乾いた花」の博打は、良識ある家庭では嫌われます。絶対に儲からない仕組みになっているのに、なぜ人は博打をするのか。人間というのは、たいていの場合、勝者ではなく敗者であるからです。オリンピックのスポーツなんかもそうでしょう。勝者は一人で生きていかれない、何百人もの人間の集積の上に一人の勝者がいる。だから僕はハッピーエンドで終わるハリウッド映画を観たら、そこからが本当の映画が始まるのになと思うわけです(笑)。不幸せを生きる方がドラマティックでしょう。トルストイ「アンナカレーニナ」冒頭で、「幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭はさまざまだ」という台詞があるように、不幸せを覚悟すれば人生こんなに楽しいことはない(笑)。

梁木:監督の映画でもうひとつ思うのは、人間そのものより背景やバックグラウンドの方が見応えがあるということです。たとえば本物の絵があったり。

篠田:作品の中には、美術や音含めていろんなエキサイティングな仕掛けをしています。

梁木:モダニズムと芸術のドッキングといいますか、武満徹さんを映画音楽に起用されるなど実験的ですよね。

篠田:武満さんの音楽は、アナログでとった音をシンセサイザーの巨大な電子音につくりかえたものなんです。当時NHKの実験場で内密に頼んでやってもらったんですけど(笑)。そういう細部を感じていただけるのは嬉しい。今日お集まりの方々は、中高年の方が多いですけど、僕は確実に今、自分の映画のお客様と出会っている喜びを実感していますよ。(会場から大きな拍手)。

梁木:60年代は戦後の最も過激な時代。それが映画芸術に溶け込んだ希有な時代だと思います。

篠田:64年以降、テレビの台頭により、映画人口が減りました。でも映画には、人間と人間にとってすごい出会いを与える興奮と喜びがつまっている。

梁木:最後に、今の日本映画界についてどう思われるかお聞かせください。

篠田:「はだしのゲン」を子どもに読ませちゃいけないというようなことも言われますが、子どもの感受性というのは大人が思うより鋭くて、いくらダメと言っても毒を飲んでしまうものなんです。私も小学三年生の時に「ベルリンオリンピック」の映画を観なければ映画監督にもならなかったし、陸上にも興味を抱かなかったでしょう。つまり悪や敗者があるから、エッジというか知恵が生まれるわけで、そこが学問のはじまり。今、日本はアジアの中でどんどん孤立しています。その孤立を防ぐひとつのシステムが「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」ではないかと思いますよ(会場から大きな拍手)。

梁木:いやあ、そこに話がいくとは(笑)。もっとずっとこうしてお話を聞いていたいくらいなのですが、時間になりました。今日は本当にありがとうございました。

 

本映画祭に招待されたアジアの監督らも多数駆けつけたスペシャルトーク。ほかにも箱根駅伝の話、富士山に象徴される日本の神話性など興味深いお話が玉手箱のように飛び出し、集まった人達は目を輝かせて聞き入っていました。82歳の今も現役で精力的な取材・執筆活動を続ける篠田監督のユーモアを交えた含蓄あるお話の数々に魅了された珠玉のひとときでした。

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