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【FOCUS ON CINEMA】篠田正浩監督インタビュー

 

いつ観ても新しい篠田作品、彼の頭の中にあるのはトルストイの台詞

 

インタビューが始まるなり、持参した紙袋から篠田監督の映画のDVDや著作を取り出した梁木ディレクター。「監督の映画、とても好きで改めて見直してみたんですけど、今観ても充分に新しいですよね」と興奮気味で話しはじめると、篠田監督もニカッと笑みをうかべ、当時の貴重な思い出と映画に対する持論を躍動感あふれる語り口で話してくださいました。

1964年には、「乾いた花」「暗殺」と2本の映画を同時発表された篠田監督。「『乾いた花』の試写会を開いた1963年12月12日は、奇しくも映画の父、小津安二郎監督が亡くなった日なんです。試写が始まるなり、いろんな人が途中で出ていくものだからおかしいなと思ってどうしたんだと知り合いの記者に尋ねたら、たった今、小津が死んだって。だから、僕にとっては、『乾いた花』=小津の死。小津という映画の父、ゴッドファーザーが亡くなって、その子ども達は家出して、てんでばらばらになっちゃった」と運命的とも思える映画とのエピソードを語ります。

「ゴッドファーザーの例えは面白いですね。その子ども達というのが、吉田喜重さんや大島渚さん、そして篠田監督というわけですが、当時の映画界はどういう状況だったのですか」と梁木ディレクターが身を乗り出すと、「富める者と貧する者に分かれていたんじゃないかな」と監督。「吉田は映画における知性の可能性を追い求めるがために、完璧をめざした結果、中途半端で終わってしまったし、大島渚は当時の政治について映画を通して意義申し立てをしようとしていた、プロパガンダとして。でも、幸か不幸か大島渚は政治に明るくなかったのと、映画のセンスがものすごくあったから上手くいかなかったけど」。

そして、篠田監督はというと、もともと陸上部出身、箱根駅伝で2区を走り抜いたほどのスポーツマン。助監督時代は、走り回ったり重いものを運んだりと体力仕事ばかりさせられていたことから、「篠田、お前にあんな映画が作れるとは想像つかなかったぞ」と当時の映画仲間から驚かれたといいます。

次に梁木ディレクターが監督の映画の根底に流れているものについて、「監督の映画やご本には、敗者の複雑さが通底しているような気がしますが」と発言。「そうだね、僕は敗者のドラマをたくさん作ってきた。一度ある正月にワイフ(女優の岩下志麻さん)と京都旅行をした時、偶然に『暗殺』の作者、司馬遼太郎さんご夫妻とお会いしたのですが、その時に『いつか言おうと思ってたんだけど、君の映画、暗いよ』って言われました。でも僕の中ではトルストイ『アンナカレーニナ』の冒頭に出てくる、『幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭はさまざまだ』という台詞がいつも頭にある。敗者の爽快感というか、悲劇によって自己崩壊する喜びというのかな。自著『河原者ノススメ』などでも扱われている路上の物語は実に爽快ですよ」。

それを聞いた梁木ディレクターが「芸能をきちんと描いているから、監督の映画は古くないのでしょうね。特に、背景となる襖や床の間などのしつらえなんか、とても美しい。今の映画セットのような作り物ではなく、すべて本物なんですね」と賛辞を送ります。「確かに僕は、どの映画の誰にも感情移入していません。それよりフレーム全体を観ているから。背景が美しいというのは、手前味噌ですが、僕ほど日本文化を知っている人はいないと思うから、それはしっかりとしたものが作れるわけです」。「そうですよね、映画もですけど日本の神話性や歴史などについて書かれた著作は、ちょっとやそっとじゃ書けないものです。監督の場合、人間よりも美の方が上位にある感覚なのですね」。

「原爆が落ち、テレビ放映が始まった20世紀は、映像文化が核融合反応した時代でもあった」と独自の言い回しで20世紀を表現する篠田監督。「コミュニズムを標榜して政治でも民衆を救うとか救われるという言い方は、僕なんかはインチキだしそういうことを言う政治は迷惑だなあと思うんです」という言葉に、梁木ディレクターも「だから監督の映画は、単なるヒューマニズムとは無縁のところで人間を観ているように感じるのですね」と深々とうなずき、耳を傾けていました。

そんな監督の映画の原体験とは、何だったのでしょう?「映画や芝居好きの母親と、丹下左膳の映画を観に行ったんだけど、片目片足の姿に衝撃を受けた。それが映画の目覚めですね。それと小3の時に観た『ベルリンオリンピック』。岐阜の田舎で育った子どもにとって、ヒットラーが聖火リレーをやっているのを映画館で観た時は、これが西洋か!とまた衝撃だった。それと親父が16ミリをまわして田舎の景色を撮っていたドキュメンタリーフィルムと、その3つの少年体験が今の自分を作ってくれました」。

現在82歳というお年をまったく感じさせない、溌溂とした若さを見せる監督。オープニング上映会に出席された後も、現在取材中の卑弥子について調べるために島根県の出雲に出かけられたそうです。映画の話以外に、篠田監督が「日本粗」と呼んでいる、日本という島国の在り方についても激論が交わされた今回のインタビュー。膨大な勉強と経験による知識の蓄積に、梁木ディレクターも圧倒されっぱなしの1時間半でした。

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