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2017年9月15日(金)~9月24日(日)

ニュース

2015.09.23

シンポジウム④ 「インドネシアの若手監督に訊く」

シンポジウム④ 「インドネシアの若手監督に訊く」

司会: 梁木靖弘ディレクター
パネリスト: アンガ・ドゥイマス・サソンコ(『モルッカの光』監督)、
イスマイル・バスべス(『月までアナザー・トリップ』監督)、
メイスク・タウリシア(『動物園からのポストカード』プロデューサー)」


変わりゆくインドネシア映画界に膨らむ希望と可能性


インドネシアでは1998年にスハルト政権崩壊後、リリ・リザ、ミラ・レスマナ監督を代表するインドネシア・ニューシネマが台頭。映画製作が自由となり製作本数が激増、急スピードで映画製作をとりまく現状が変化し始めました。今回のシンポジウムでは2000年代、新しい映画製作の波に乗って現在活躍中の若手監督2人をパネリストに招き、彼らのサポートを行うプロデューサー兼映画研究者のメイスク・タウリシアさんに現在のインドネシア最新映画情報について語っていただきました。

1985年生まれ、今年で31歳という同年代のアンガ監督とイスマイル監督。生まれも育ちもつくる映画のタイプも違う2人。『モルッカの光』が国内でもヒットを記録した、アンガ監督が映画界に入るきっかけとなったのは、高校時代に参加した映画のつくり方を学ぶユースキャンプだったといいます。2000年代は若者の間で短編映画をつくることがトレンドとなり、アンガ監督もその影響を受けた一人です。
「当時、ジャカルタの南部にキノと呼ばれる劇場があったのですが、そこは映画関係者
の出会いの場ともなっていました。そこで出会ったのが数々のヒット作を飛ばすプロデューサー。彼の後押しもありインターンシップで映画の助監督を務めるようになったんです」。助監督を務めながら、友人と共に脚本を執筆。同時に資金集めも自ら行い、2006年、21歳の若さでデビュー。監督・プロデューサーの両方を務めました。

その後、アンガ監督は第2作目、3作目と次々に発表。「自分の映画を一番PRしやすい」という理由で、製作プロダクションを設立し、監督とプロデューサー業を兼任。「当時の時代の流れに乗れてラッキーでした。各地で映画祭や関連イベントが開催され、技術も発達していて、映画が製作しやすい状況になっていきました」とアンガ監督。

一方、イスマイル監督はアンガ監督よりキャリアは5年短いのですが、彼と同じく時代の波に乗ったと語ります。ジョグジャカルタの大学に通っていた監督は、「ジョグジャ・ネットパック・アジア映画祭(JAFF)」の仕事を通じて監督やプロデューサーなど、さまざまな映画関係者と交流を深める中で、自分も映画監督になろうと決意したそうです。2作目の短編が世界各地の映画祭で注目されたイスマイル監督。今作の『月までアナザー・トリップ』が初の長編となります。

イスマイル監督は友人のミュージシャンや詩人、俳優などに協力をあおぎ、コラボレーションという形で今作を製作。資金集めのために、いろんなプロダクションに声をかけたのですが、80分間セリフなしという前衛的な内容に投資する人はいなかったといいます。「インドネシアではさまざまなジャンルのアーティストがお互いにサポートし合う風潮があるからこそできた作品」。共同製作でできたものは単に映画だけにとどまらず、映画で使用した曲のアルバム、詩の本の出版などと実にさまざま。映画づくりに関わったアーティストたちが映画づくりを通じて、それぞれの表現力を最大限に発揮できたんだそう。「まるでアーティスト同士が芸術性を競い合うような経験ができた」と目を輝かせるイスマイル監督。

その後、以前から依頼があった有名プロデューサーのもとで商業映画を監督。「1作目、2作目と全く違う手法でしたが、成し遂げたことに手ごたえを感じました」と語ります。

インドネシアで映画を学べる学校は非常に限られています。しかし、アンガ監督もイスマイル監督も普通大学の出身です。変わりゆく時代の中、もはや1つの映画学校だけではニーズに対応できないと、メイスクプロデューサー。この10年間、インドネシア各地でインフォーマルな映画を学ぶ場がどんどんでき始め、そこから新しい才能が開花しているといいます。その代表となる場が映画祭を開催している、ジョグジャカルタという都市です。

インドネシア最大の都市はジャカルタで、国全体の30~40%の映画館が集中していますが、映画以外にもさまざまな娯楽産業が盛んになり、1999年に始まった「ジャカルタ国際映画祭(JIFFEST)」もこの10年で衰退してしまったとメイスク氏。一方で、文化芸術振興策のため、国による特別交付金を受けているジョクジャカルタ。では、芸術、文化の多様性を追求し続ける「ジョグジャ・ネットパック・アジア映画祭」が勢いをつけ、映画監督を目指す若者にとって大きな可能性のある場となっています。

しかし、インドネシアでは巨大なチェーンが映画館を支配しているという現実に目を背けるわけにはいきません。80年代には全国で3000ほどあったスクリーンが現在1000に激減。現在、スクリーンの80%を占有しているチェーンが独立系のミニシアターを買収し、配給にまで力を及ぼすようになっているのが現状です。よってインドネシアでもハリウッド映画が絶えず上映されている状態で、その隙間を縫って自国の映画を上映しなければならないそうです。

「問題はハリウッド映画というわけじゃなく、上映する側がどう作品を扱うのかということ」とアンガ監督。彼は前作を昨年夏に公開しましたが、運悪くハリウッドの大ヒット作がほぼ同時期に公開されてしまったのです。インドネシアでは大手シネコン8スクリーンあるうち、7スクリーンが同じハリウッド映画、1スクリーンが自国映画という状況に陥っていると苦い思いでいます。以来、製作手順においてリスク分散の仕組みをつくることで、収益回収面でリスクを負わないような戦略をとるようにしたとのこと。実際に『モルッカの光』では15万人を動員でき、製作費の40%を入場料で回収し、50%を提供資金でカバー、残り10%は上映権をTV局に売ることで損失を出すことは免れたそう。

アートムービーのジャンルに入るイスマイル監督の『月までアナザー・トリップ』は、国内での成績はいまひとつ振るいませんでしたが、評論家など映画関係者には高評価で、本映画祭での上映は「ロッテルダム国際映画祭」に続き2回目。有名プロデューサーと組んだ次作は来月の「東京国際映画祭」での出展も決まっています。「アートムービーは一般受けしない映画なので、投資家がつかず苦労することもあります。でも映画をつくりたいという思いが何よりも勝るので、こうやって映画祭に呼ばれることには“ワオ!!”と叫びたい気持ちでいっぱいです」と笑顔のイスマイル監督。

彼らを温かく見守ってきたメイスク氏は「インドネシアの映画人にとって、上映の場が拡がるということはとても嬉しく、光栄なことです。彼らの映画は国内では苦戦を強いられています。映画を通し、多様性を享受するということは人間理解の根本だと思っています。なんとか今後上映の機会を国内でもつくれるよう努力したいと思います」と熱く語り、参加者から熱いエールをこめた大きな拍手が送られました。

共催
  • ASIA center
助成
  • 芸術文化振興基金

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